大判例

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神戸地方裁判所 昭和49年(ワ)199号 判決

原告

北村京

ほか三名

被告

兵庫日野自動車株式会社

ほか一名

主文

被告らは各自

1  原告北村京に対し金一五五万九七九四円及びこれに対する昭和四七年五月四日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を、

2  原告北村武彦、同嘉門欝子及び同北村陽次郎に対し、それぞれ、金八九万一五三八円及びこれに対する昭和四七年五月四日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を、

各支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その一を被告らの、その二を原告北村京の、その余を原告北村武彦、同嘉門欝子及び同北村陽次郎の各負担とする。

この判決は原告ら勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告ら)

1  (主位的申立)

被告らは各自

(1) 原告北村京に対し六五七万一五七九円及びこれに対する昭和四七年五月四日以降完済まで年五分の割合による金員を

(2) その余の原告らに対しそれぞれ四二一万四三八五円及びこれに対する同日以降完済まで年五分の割合による金員を

支払え。

(予備的申立)

被告らは各自

(1)  原告京に対し五一七万七七九六円及びこれに対する昭和四七年五月四日以降完済まで年五分の割合による金員を

(2)  その余の原告らに対し三二八万五一九六円及びこれに対する同日以降完済まで年五分の割合による金員を

支払え。

2 訴訟費用は被告らの負担とする。

3 仮執行の宣言。

(被告ら)

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二請求原因

一  交通事故の発生

(一)  次の交通事故(以下本件事故という)が発生した。

1 発生日時 昭和四七年三月一四日午前八時二〇分ころ

2 発生場所 西宮市南甲子園町一丁目一番二号先交差点

3 加害車両 普通乗用自動車(泉五五そ三五七六号)

右運転者 被告喜田恒幸(以下被告喜田という)

4 被害者 自転車に乗つて走行中の北村善一(以下亡善一という)

5 事故態様 被告喜田は加害車両を運転して本件交差点を南北道路から東西道路へ右折進入せんとして、東西道路を東から西へ走行中の亡善一の自転車に加害車両を衝突させた。

(二)  本件事故により亡善一は頭部・左下肢等の打撲傷害を受け事故当日より小寺外科に入院して爾後療養に努めたが、本件事故に起因する頭部外傷(脳内出血)性シヨツクにより肝不全(肝硬変症)を来たして昭和四七年五月三日死亡した。

二  責任原因

被告らはそれぞれ左記事由により本件事故により生じた後記損害を賠償する責任がある。

1  被告兵庫日野自動車株式会社(以下被告会社という)は本件事故当時自己のため加害車両を運行の用に供していたから自賠法三条の責任。そうでないとしても被告会社は被告喜田を雇傭し、同被告が被告会社の業務に従事中後記過失により本件事故を惹起したものであるから民法七一五条による責任。

2  被告喜田は本件事故当時加害車両を所有し自己のため運行の用に供していたから自賠法三条による責任。そうでないとしても、本件事故は同被告の前方不注視・車両等進行妨害、徐行義務違反等の過失に基くものであるから民法七〇九条による責任。

三  相続

原告北村京(以下原告京という)は亡善一の妻、原告北村武彦(以下原告武彦という)は亡善一ら夫妻の長男、原告嘉門壽子(以下原告壽子という)はその長女、原告北村陽次郎(以下原告陽次郎という)はその二男である。即ち、原告らは、亡善一の相続人であり、原告京の相続分は三分の一、その余の原告らの相続分は九分の二ずつである。

四  損害

本件事故により左記損害が生じた

(一)  積極的財産損害(原告らの損害)

1 亡善一の前記小寺外科に入院中の治療費 四八万四〇六〇円

2 同看護費 九万九六三〇円

3 亡善一の葬儀費 五〇万六四五五円

以上合計一〇九万〇一四五円。

(二)  消極的財産損害(亡善一の逸失利益)

亡善一は死亡当時満六二歳(明治四三年一月九日生)の健康な男子で、学校法人辰馬育英会甲陽学院(以下甲陽学院という)中等学校に勤務する国語専任教諭の職にあつたもので死亡当時月額本俸一四万一三〇〇円諸手当二万五二八四円の給料を得、また死亡前一年間に賞与として給料月額の七・三〇六か月分を得ていた。満六二歳の男の平均余命は第一二回生命表によれば一三・八二年であるから、亡善一は満七五歳まで生存可能であつたところ、甲陽学院の「教職員定年に関する規定」に拠つて満六五歳時の学年末まで甲陽学院に勤務して給与を得られる筈であつたし、定年退職後も一〇年間は私立学校教職員共済組合法(以下私学共済法という)により退職年金を支給される筈であつた。

しかして、亡善一の得べかりし利益喪失額は次のとおりである。

(主位的主張) 一三八六万四七三九円

(1) 給与の逸失利益

ところで甲陽学院の教職員に対する給与(給料(諸手当を含む)と賞与の二つに分かれる)は、一部手当を除いて何れも国家公務員(地方公務員も参酌する。)たる教育職員に対する給与に準じて支給され(従つて「一般職の職員の給与に関する法律」(以下「給与法」という。)等の法律、また「公立学校教育職員等の給与等に関する条例」(以下県の条例という。)等の給与条例を基礎に計算される。)賞与も給与法の期末、勤勉手当と県の条例における支給状況を勘案し、甲陽学院教職員組合(兵庫県私立教職員組合の支部)と交渉の上決定されることになつており、また亡善一は甲陽学院の「教職員定年に関する規定」によつて、満六五歳のその学年末即ち昭和五〇年三月末日まで勤務することになる筈であるところ、亡善一の死亡時(但し昭和四七年五月分給料は支給済みなので、昭和四七年六月一日以降)より右昭和五〇年三月末日までその後の給与の得べかりし利益を推定するに、而もこの場合右同じ甲陽学院に勤務する教員で亡善一と略同じ経歴、給与受給歴を有する高井教諭の右期間における現実の受給状況を参考に計算するものとする。

イ (給料)本俸

本俸は給与法の別表教育職俸給表(二)の二等級の号俸を準用されたが、昭和四六年の右表には三九号俸までしかなかつたので、県の給与条例や給与法第八条により割合計算して凡そ四一号俸妥当として亡善一には死亡時右高井教諭と同じく月額一四万一、三〇〇円の本俸が支給されていたが、国家公務員の給与はその後毎年人事院の勧告によりベースアツプされ、給与法の改定が昭和四七年四八年、四九年となされて旧俸給表よりの昇給率をしんしやくして同教諭の受給実績に当篏めると、亡善一の昭和四七年度ないし同四九年度の得べかりし本俸は別表1の本俸欄記載のとおりである。因みに、右高井教諭の右年度の本俸は別表1のとおりであつた。

ロ (給料―諸手当)教職調整額

「国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」による支給に準じて、本俸の四パーセント相当額である。別表1の教職調整額欄記載のとおり亡善一において得べかりし筈である。

ハ (同)扶養手当

給与法第十一条による支給に準ずるものであり、配偶者たる原告京に対する別表1の扶養手当欄のとおりである。

ニ (同)調整手当

給与法第十一条の三による支給に則るもので、〝本俸と教職調整額と扶養手当〟の合計額の八パーセント相当額が、別表1の調整手当欄記載のとおりとなる。

ホ (同)年功手当、研究費、住宅手当

何れも甲陽学院固有の給与規定に基づくもので、年功手当は二〇年以上の勤続者に月額二、〇〇〇円、研究費は全教員に月額一、〇〇〇円、住宅手当は教職員に対し一率月額二、五〇〇円支給するもので、亡善一の場合も別表1の年功手当欄、研究費欄、住宅手当欄記載のとおりとなる。

ヘ 賞与

賞与額は前述のようにして決定されるが、賞与の倍数の基礎になる給料額(月額)は右イ、ロ、ハ、ニ、ホの全額から年功手当並びに住宅手当を控除したもの(以下基礎給料額という。)とされているところ、亡善一が死亡前一年間(昭和四六年度)に給料全額(月額)の七・三〇六ケ月分を得ており、これに前記高井教諭がその後に現実に得た賞与の実績に当嵌めて亡善一の昭和四七年、四八年、四九年度の得べかりし賞与額を推計すれば、別表1の賞与欄記載のとおりを下ることはない。因みに、右高井教諭の賞与は、昭和四七年度は七月に基礎給料額の二・一八ケ月分プラス一万一〇〇〇円、一二月に同給料額の三・六五ケ月分プラス一万一〇〇〇円、三月に同給料額の〇・五ケ月分が、同四八年度は、七月に同給料額の二・三二ケ月分プラス一万五〇〇〇円、一二月に同給料額の四・一五ケ月分プラス一万五〇〇〇円、三月に同給料額の〇・五ケ月分が、同四九年度は七月に同給料額の二・五二ケ月分プラス二万円、一二月に同給料額の三・七五ケ月分プラス二万円、三月に同給料額の〇・五ケ月分がそれぞれ支給されている。

ト 生活費等の控除

(a) 共済組合掛金

而して前記のとおり給料は年々増加するに従い、私学共済法第二二条にいう標準給与月額も漸次改定されるから、前記高井教諭の標準給与の月額が亡善一の死亡後現実に次のとおり改定されたに準じて亡善一のそれもその如く改定されたとすると(亡善一の昭和四七年五月のそれは一五〇、〇〇〇円)

昭和四七年六月より同四八年二月まで 一五〇、〇〇〇円

同四八年三月より同年九月まで 一八五、〇〇〇円

同四八年一〇月より同年十二月まで 一八〇、〇〇〇円

同四九年一月より同年九月まで 二一〇、〇〇〇円

同四九年一〇月より同五〇年三月まで 二四五、〇〇〇円

亡善一がその間に支出すべき共済組合の掛金は、別表1の「共済組合掛金」欄記載のとおりと考えられるので、それを同表のとおり控除する。

(b) 生計費

また亡善一の生計費は、同人の家族構成、家族の年齢等を勘案すると、その収入総額の三分の一を超えないと考えられるので、別表1の生計費欄の如く控除する。

チ 中間利息の控除

以上亡善一の昭和四七年六月より同五〇年三月までの共済組合掛金控除後の給与(給料、賞与の合計)総額は一、一五九万九、五七二円であり、これより生計費を控除した純収入額は七七三万三、〇五〇円であつて、これをホフマン式計算法により別表1の現価欄記載のとおりの合計現在値を求めると六九七万九、〇二八円となる。

(2) 退職年金の逸失利益

亡善一は本件事故がなければ前記のように満七五歳まで生存可能であつたと考えられるので、同人が満六五歳で退職後も一〇年間は私学共済法により、別表2の退職年金計算書記載のとおり毎年金一七四万九、三〇〇円の退職年金を受給することができた筈である。

ところで退職後の生計費として前記のように右年金収入の三分の一を要すると考えても、これを控除した残額一一六万六、二〇〇円が亡善一の得べかりし退職年金の年間損害額となる。これをホフマン計算法により年五分の中間利息を控除して、死亡時における現在値を算出すると

116万6,200円×(9.3945-3.4901)≒688万5,711円

となる。

(予備的主張) 九六八万三三八五円

(1) 給与の逸失利益

亡善一は本件事故により死亡していなければ、満六五歳の学年度末、即ち昭和五〇年三月末日まで甲陽学院に勤務し給与を得られた筈であり、死亡当時における同人の月額給料が一六万六五八四円(死亡時の昭和四七年五月分まで受給済)で、死亡前一年間の賞与が給料月額の七・三〇六か月分であつたことは前記のとおりである。

ところで、同人は後記退職金を受給するため毎月共済組合掛金一万〇八〇〇円を支出していたから、これを右月額給料から控除したのが同人の月収であり、また、同人の生計費はその家族構成、年齢等を勘案し総収入額の三分の一と見られる。

以上の各事項を考慮し、且つ亡善一の今後の給料が死亡当時と変らず、その賞与も死亡前一年間のと同率で支給されると仮定すると、別表3のとおり亡善一の得べかりし昭和五〇年三月末までの収入総額(給料から共済組合掛金を控除した分と賞与の合計)は計八九四万七八四五円であり、これより生計費(三分の一)を控除した純利益は五九六万五二二九円となり、これをホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除した現価の総計は五四二万一二一八円となる。

(2) 退職金の逸失利益

亡善一は本件事故により死亡しなければ前記のとおり満七五歳まで生存可能であつたと考えられるので、退職後も一〇年間は私立学校教職員共済組合法により、別表4の退職年金計算書のとおり少くとも毎年一〇八万二七九四円の退職年金を受給することができた筈である。

ところで、退職後の生計費が右年収の三分の一とすると、これを控除した残額七二万一八六三円が同人の右退職後における毎年の得べかりし純利益となり、これをホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除した現価の総計は四二六万二一六七円となる。

(三)  慰藉料

亡善一は、京都帝大文学部国文科卒業後直ちに昭和一〇年母校の甲陽学院中等学校に赴任し、今日まで学問一筋にまた後輩の育成に情熱を傾け、学内外の信望とみに厚く且つ仕事面で円熟安定の時期を迎え、家庭においては妻である原告京と二男である原告陽次郎の三名で幸福な生活を亭受し合つていた。しかして、本件事故によつて生命を断たれた亡善一の精神的苦痛は勿論、右原告両名及びその余の原告ら(長男と長女)の精神的悲嘆は甚大であり、原告らは今後の家庭・社会生活において深刻な打撃をうけ、経済的にも大きな影響を蒙ることが予想される。よつて、亡善一及び原告らに対する慰藉料は次のとおり認めるのが相当である。

1 亡善一の慰藉料 一五〇万円

2 原告京の慰藉料 一〇〇万円

3 その余の原告らの慰藉料 各五〇万円

(四)  弁護士費用

原告らは、被告らが任意に本件損害賠償義務を履行しないので、弁護士である原告ら訴訟代理人に本訴の提起・追行を委任し、成功報酬として第一審判決言渡当日に次のとおり支払う旨各約した。

1 原告京 四五万円

2 その余の原告ら 各三〇万円

五  結語

よつて、原告らは被告ら各自に対し被告らから弁済を受けた前項四の(一)の損害分を除くその余の損害分につき賠償請求をする。即ち、被告ら各自に対し、

主位的申立として、

1  原告京は、亡善一の損害賠償請求権(逸失利益一三八六万四七三九円と慰藉料一五〇万円の合計一五三六万四七三九円)中同原告の相続分五一二万一五七九円、同原告の慰藉料及び弁護士費用合計六五七万一五七九円並びにこれに対する昭和四七年五月四日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金

2  その余の原告らは、それぞれ、亡善一の右損害賠償請求権中各同原告らの相続分三四一万四三八五円、各同原告らの慰藉料及び弁護士費用合計四二一万四三八五円並びにこれに対する同日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金

の支払を求め、

予備的申立として

1  原告京は、亡善一の損害賠償請求権(逸失利益九六八万三三八五円と慰藉料一五〇万円の合計一一一八万三三八五円)中同原告の相続分三七二万七七九五円、同原告の慰藉料及び弁護士費用合計五一七万七七九六円並びにこれに対する昭和四七年五月四日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金

2  その余の原告らは、亡善一の右損害賠償請求権中各同原告らの相続分二四八万五一九六円、各同原告らの慰藉料及び弁護士費用合計三二八万五一九六円並びにこれに対する同日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求原因に対する答弁

一  請求原因一の(一)は認める。同(二)のうち本件事故により亡善一が頭部・左下肢の打撲傷を受け、事故当日より小寺外科に入院したこと、同人が昭和四七年五月三日肝不全(肝硬変症)で死亡した事実は認めるが、その余の事実は争う。亡善一の死亡と本件事故との間には相当因果関係がない。

二  請求原因二及び三の各事実は認める。

三  請求原因四の事実は争う。もつとも、

1  右四の(一)の1ないし3の費用・金額は認めるが、1及び2の費用額はその殆どが本件事故と相当因果関係のない亡善一の肝疾患に関するものであり、3の費用は本件事故と相当因果関係のない同人の死亡による費用である。

2  右四の(四)の事実中原告らが本件訴訟の提起追行を弁護士である原告訴訟代理人に委任したことは認める。

第四被告らの主張

一  過失相殺

本件事故の発生については、亡善一の左前方不注視による過失も一因になつているから、その過失相殺をして本件損害賠償額を算定すべきである。

二  弁済

被告会社は原告らに対し左記のとおり金員を支払つた。

1  葬儀費名義で五〇万六四五五円

2  治療費名義で四八万四〇六〇円

3  看護費名義で九万九六三〇円

第五右主張に対する原告らの答弁

一  主張一の事実は争う。

二  主張二の事実は認める。

第六証拠関係〔略〕

理由

一  請求原因一の(一)の事実全部及び同(二)の事実中本件事故により亡善一が頭部・左下肢打撲傷を受けたこと、亡善一が本件事故による受傷のため事故当日より小寺外科に入院療養したが、昭和四七年五月三〇日肝不全(肝硬変症)により死亡したことは当事者間に争いがない。そして、原告らは亡善一の死因は本件事故に起因する頭部外傷及び右肝不全(肝硬変症)であると主張するのに対し、被告らはこれを争い、同人が肝不全(肝硬変症)で死亡したことと本件事故との間には相当因果関係がないと主張するのでこの点について検討するに、いずれも成立(甲第四号証については原本の存在及び成立)に争いのない甲第三、第四号証、第五号証の一ないし二六、第一〇号証の一ないし一〇、第一一号証の一ないし三九、第一七ないし第一九号証、乙第九、第一一号証に、証人友国説郎、同小寺八郎、鑑定証人進士義剛の各証言及び鑑定人伊藤憲一の鑑定の結果並びに原告北村京本人尋問の結果を総合すれば、

(一)  亡善一は、昭和四四年七月二八日明和病院で急性膀胱炎により受診して同月末から同年八月二二日まで入院治療を、翌年一月八日まで通院治療を受けたことがあつたが、その間、たまたま肝機能障害が指摘されて肝機能検査結果や身体所見から慢性肝炎という診断名が付されていること、ところが、当時同病院では亡善一の肝機能障害につき慢性肝炎か肝硬変かを正確に区別する特殊な検査まで行われていないけれども、右肝機能検査結果中グログリン値の上昇値、クンケル値の上昇値等、身体所見の脾臓大、クモ状血管腫の存在等からみると、慢性肝炎が進展したもの、あるいは肝硬変が疑われ、むしろ肝硬変症の蓋然性が高いと考えられること、しかし、亡善一は右受診後他の病院でも何ら受診しておらず、本件事故当時まで平常の社会生活を営んで来たもので、本件事故当時既に肝硬変症であつても格別の自覚症状がなくその肝機能障害の程度が日常生活に支障を与えない謂所代償期と呼ばれる時期にあつたこと、

(二)  しかるところ、亡善一は、本件事故により前記頭部打撲に際し頭部外傷(脳内出血)の傷害を蒙つて一時意識不明に陥り、その外傷に基くシヨツク状態が前記小寺外科に入院当初のころまで一、二時間続いたこと、しかして、同病院で右外傷に対する治療を施療中、約二週間後の三月二八日肝機能障害の徴候たる皮下出血が出現し、その翌日より腹部膨満の訴えが始まり、そのころから実施された肝機能検査からも肝硬変症を支持する所見が得られ、以後翌一四日所謂肝昏睡状態に陥つたのをはじめ重症度を増し、前後右肝病変に対する医療措置が施されたけれども、同人は肝不全で死亡したこと、右症状経過からみて肝硬変の非代償期の始まりは本件事故より二週間後位であること。

(三)  ところで、一般に肝に既存の病変のない生体に発生した外傷性シヨツクの場合は肝機能に異常を来たしても殆ど一過性で可逆的なものであるが、肝に病変の存する生体ではシヨツクが契機となつてときに重篤な肝機能障害に移行するものであるところ、亡善一の場合、右外傷(脳内出血)性シヨツクの程度、既存の肝硬変症の程度、外傷を蒙つてからの肝機能障害の変化の経過等に徴して、同人は、本件事故による右外傷(脳内出血)性シヨツクが誘因となつて、肝血流低下など肝機能悪化の機序を経て前記代償性肝硬変症が非代償となり肝不全で死亡したものと考えられること、

以上のとおり認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

右認定事実によれば、本件事故が肝不全の発現・死亡の原因をなしているからその間に因果関係が存するということができるが、他方、亡善一の既存の肝疾患(代償性肝硬変症)が同時に原因となつているものである。このように、ある傷病死の発生につき事故と被害者の持病が原因として競合している場合には、その傷病死による損害全部を事故による損害とせず、事故がその傷病死の発生に寄与した限度において相当因果関係が存するものとして、その範囲で事故責任者に右損害の賠償責任を負わせるのが相当と解せられる。そこで、これを本件についてみるに、前記認定の事情に、前顕甲第一二号証の記載及び「本件事故により亡善一に生じた外傷によるシヨツクは同人の肝不全による死亡に対し重大な誘因になつている」旨の鑑定人進士義剛の証言部分、並びに「本件事故による外傷が死因となつた肝不全に対し重大な誘因になつたとは考え難い」旨の鑑定人伊藤憲一の鑑定結果を総合考慮し、本件事故が亡善一の肝不全の発現・死亡に六割程度寄与しているものとしてその限度で相当因果関係を認め、その範囲で本件事故責任者に右肝不全の発現・死亡による損害の賠償責任を負わせるのが相当である。

二  請求原因二の各事実については当事者間に争いがないから、被告らは本件事故によつて亡善一らに生じた損害の賠償責任がある。

なお、被告らは、本件事故の発生については亡善一の左前方不注視による過失も一因になつているとして過失相殺の主張をするけれども、右主張に係る過失があつたことを認めうべき証拠はないから右過失相殺の主張は採用できない。

三  請求原因三の事実は当事者間に争いがないから、原告京は亡善一の本件事故による損害賠償請求権の三分の一を、その余の原告らは同請求権の九分の二ずつを相続したことになる。

四  そこで、本件事故によつて亡善一らに生じた損害について判断する。

(一)  積極的財産損害(原告らの損害)

1  治療費・看護費

亡善一の小寺病院入院中の治療費が四八万四〇六〇円、看護費が九万九六三〇円であることは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によつて右は原告らに生じた損害と認められる。そして前記認定に係る小寺病院における亡善一の治療経過等にかんがみると、右治療費・看護費の合計金五八万三六九〇円中三割に当る一七万五一〇七円が肝疾患以外の頭部外傷(脳内出血)に関する分、その余七割に当る四〇万八五八三円が右肝疾患に関する分と認めるのが相当である。そうすると、前者については全額が本件事故と相当因果関係のある損害というべきであるが、後者については本件事故の前記寄与度を考慮すると本件事故と相当因果関係のある損害はうち六割に当る二四万五一四九円となる。

よつて、本件事故と相当因果関係のある亡善一の治療費・看護費損害は合計四二万〇二五六円である。

2  葬儀費用

亡善一の葬儀費用が五〇万六四五五円であることは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によつて右は原告らに生じた損害と認められる。ところで、およそ昭和四七年ころにおける交通事故によつて死亡した者の葬儀費用相当損害額は特段の事情のない限り三五万円を限度として認めるのが相当であるところ、その特段の事情の認められない本件においては右三五万円を前提として、更に前同様本件事故の寄与度を考慮すると本件事故と相当因果関係にある葬儀費損害はうち六割に当る二一万円となる。

3  右1と2の認定に係る本件事故と相当因果関係にある損害額合計は六三万〇二五六円となり、原告ら一人宛その四分の一に当る一五万七五六四円となる。

(二)  消極的財産損害(亡善一の逸失利益)

いずれも成立に争いのない甲第六、第七、第一四、第一五号証、原本の存在及び成立につき争いのない甲第八号証によれば、亡善一は旧来より本件事故によつて死亡するまでの間甲陽学院中等学校の教諭をして給与所得を得て生活して来たもので、死亡時満六二歳であつたこと、同学院における教諭の定年は満六五歳時の学年末とされていること、同人はもし右定年後も生存し続けるとすれば、その定年時まで右給与所得を得て定年後は私立学校教職員共済組合法により退職年金を支給されることになつていたことが認められる。従つて、亡善一が当時平均的な健康状態にあつたのであれば、第一二回生命表によれば満六二歳の男子の平均余命は一三・八年であるから同人はまず満七五歳まで生存可能と考えられ、その間右給与所得・退職年齢を得たであろうことは確実である。ところが、成立に争いのない甲第二〇号証によれば、厚生省の昭和四七年度全国疫学調査に基づく肝硬変患者の診断の正確度別・診断時よりの生存期間別分布は別表5のとおりで、その成績は本症患者の生存率を直接示すものではないが、おおよその傾向が反映されたものであることが認められ、本件において亡善一は本件事故による死亡のころに肝硬変症の診断を受けたものと仮定すると同人は本件事故によつて死亡しなければ右別表5の推定生存率(但し確実例による)に従つて生存し得たものと考えることができる(なお、成立に争いのない甲第二一号証では肝硬変症の発病からの推定平均生存期間は五年、同様甲第二四号証では同期間は六年との仮設が立てられているが、右はいずれも肝炎の急性発症歴を有する肝硬変患者例を基礎として推定したものであり、しかも本件の如く漫性肝炎から進展した肝硬変でその発症期を特定し難い場合に右の推定生存期間で律するのには難がある)。

そこで、当裁判所は、亡善一の得べかりし利益の算定に当つては、控え目な算定方法として、同人が肝硬変罹患者である点をまず捨象して計算上得られる毎年のうべかりし利益に対応する毎年の右推定生存率を乗じて算定するのが本件事案に照し相当と考える。

1  給与所得の逸失利益について

まず亡善一が肝硬変罹患者である点を拾象した場合、いずれも成立に争いのない甲第一四、第一五、第一六号証の一ないし六によれば、請求原因四の(一)の主位的主張(1)給与の逸失利益の項(但しチを除く)に各記載の事実が認められ(且つ同記載の推計方法・計算過程も正当である)から、亡善一の昭和四七年度、同四八年度、同四九年度の得べかりし純入額は別表1の純収額欄記載のとおりである。そして、これに対応する毎年の前記推定生存率を乗じたうえ、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して得た現価は次のとおりとなる。

昭和四七年度 一一四万八九六〇円

(1,885,174円×64/100×0.9523)

昭和四八年度 八七万五二九二円

(2,507,598円×38.4/100×0.9090)

昭和四九年度 七二万三一八八円

(3,340,278円×24.9/100×0.8695)

以上合計二七四万七四四〇円となる。

2  退職年金の逸失利益について

まず亡善一が肝硬変罹患者である点を拾象した場合、前顕甲第一四、第一五号証によれば前記主位的主張(2)退職年金の逸失利益の項に引用の別表2退職年金計算書記載の事実が認められ(且つその計算過程等も正当)であるから、同人は前記定年退職後一〇年間に亘り毎年一七四万九三〇〇円の退職年金を受給できた筈であり、なお、同人の右退職後の生活費としては右年齢収入の二分の一を要すると考えるのが相当であるからこれを控除した八七万四六五〇円が同人の毎年の純益となる。そして、これに対応する毎年の前記推定生存率を乗じたうえ、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して得た現価は次のとおりとなる。

一年目(昭和五〇年度) 一二万五三六一円

(874,650円×17.2/100×0.8333)

二年目(同五一年度) 八万一一六七円

(874,650円×11.6/100×0.8000)

三年目(同五二年度) 五万五八四〇円

(874,650円×8.3/100×0.7692)

四年目(同五三年度) 三万五六三一円

(874,650円×5.5/100×0.7407)

五年目(同五四年度) 二万二四八八円

(874,650円×3.6/100×0.7142)

六年目(同五五年度) 一万八〇九四円

(874,650円×3.0/100×0.6896)

七年目から一〇年目(同五六年度から同五九年度)

計 三万七八一〇円

(874,650円×1.7/100×2.5429)

以上合計三七万六三九一円となる。

3  よつて、亡善一の本件事故なかりせば得べかりし利益の総額は右1と2の合計三一二万三八三一円となり、亡善一は本件事故による死亡により右利益を喪失したものであるが、本件事故のその死亡に対する前記寄与度を考慮すると、本件事故と相当因果関係に立つ損害はうち六割に当る一八七万四二九八円となる。

(三)  慰藉料

前記のとおり亡善一は永年甲陽学院の教諭をし、定年まであと三年の時期に本件事故に遭い生命を失つた。そして、当事者間に争いのない請求原因三の事実に、成立に争いのない甲第一号証の一ないし、原告北村京本人尋問の結果によれば、亡善一はこれまでの間家庭においては同原告(妻)との間にその余の原告ら(子)を育て上げ、原告壽子(長女)及び同武彦は既に独立して世帯をもつに至り、本件事故当時は亡善一と原告京と成人した同陽次郎(二男)とで平和に暮らしていたことが認められる。されば、本件事故によつて受傷の末死亡した亡善一は勿論のこと原告らの精神的苦痛は軽視できないものがある。そして、本件事故の態様、亡善一の受傷、治療状況、死亡に至る経過、生存率等諸般の事情に、本件事故の亡善一の死亡に対する寄与を考慮すると、本件事故と相当因果関係にある亡善一及び原告らに対する慰藉料としては

亡善一につき 九〇万円

原告京につき 六〇万円

その余の原告らにつき 各三〇万円

と認めるのが相当である。

五  以上によれば、原告らの各取得した損害賠償請求権は

原告京につき 一六八万二三三〇円

{157,564円+(1,874,298円+900,000円)×1/3+600,000円}

その余の原告らにつき 各一〇七万四〇七四円

{157,564円+(1,874,298円+900,000円)×2/9+300,000円}

となるが、被告会社が原告らに対し

葬儀費名義で五〇万六四五五円

治療費名義で四八万四〇六〇円

看護費名義で九万九六三〇円

以上合計一〇九万〇一四五円を支払つたことは当事者間に争いがないので、その四分の一(二七万二五三六円)ずつを原告らの右各損害賠償請求権全額から控除すると

原告京につき 一四〇万九七九四円

その余の原告らにつき 各八〇万一五三八円

となる。

六  請求原因四の(四)の事実中原告らが本件訴訟の提起追行を弁護士である原告訴訟代理人に委任したことは当事者間に争いがない。そして成立に争いのない甲第九号証によれば原告訴訟代理人に対し

原告京は本件訴訟の成功報酬として第一審判決言渡日に四五万円を

その余の原告らはそれぞれ同様に各三〇万円を

支払う旨約したことが認められる。しかして本件訴訟の経緯、原告らの本件損害賠償請求認容金額等諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係にある原告らの弁護士費用損害としては

原告京につき一五万円

その余の原告らにつき各九万円

と認めるのが相当である。

七  してみると、原告京の本訴請求中、被告ら各自に対して、金一五五万九七九四円及びこれに対する昭和四七年五月四日以降支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分、その余の原告らの本訴各請求中、それぞれ被告ら各自に対して、金八九万一五三八円及びこれに対する右同日以降支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は、いずれも理由があるのでこれを認容し、その余はいずれも理由がないので棄却し、訴訟費用については民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言については同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 谷口彰)

別表1

〈省略〉

賞与明細

1年目 7月 175,778×2.18+11,000……………394,500

12月 〃×3.65+11,000……………653,000

3月 〃×0.5……………88,000 計 1,135,500

2年目 7月 202,463×2.32+15,000……………485,000

12月 〃×4.15+15,000……………855,500

3月 〃×0.5……………101,500 計 1,442,000

3年目 7月 272,373×2.52+20,000……………706,500

12月 〃×3.75+20,000…………1,041,500

3月 〃×0.5……………136,500 計 1,884,500

別表2 退職年金計算書

1 亡善一は私学恩給財団(加入年月日 昭和10年4月1日 脱退年月日 昭和28年12月31日、この間18年9ケ月)の加入経歴があり、また厚生年金保険(資格取得年月日 昭和23年12月1日 脱退年月日 昭和28年12月31日、この間5年1ケ月)の加入経歴あつて、昭和29年1月1日より私立学校教職員共済組合員となつて、本件事故による死亡日まで組合員であつた。

2 亡善一が本件事故により死亡せず、定年(昭和五〇年三月末日)まで勤続して退職したとして、その場合の私立学校教職員共済組合より支給さるべき退職年金額を推計すると次のようになる。

(1) 私学共済法は昭和36年6月16日法律第140号により改正されたが、この改正前のを旧法、改正後のを新法という――新法は昭和37年1月1日から施行された。

亡善一が本件交通事故で死亡しなかつたとするとその新法附則第4項に定める

旧長期組合員期間は 26年9ケ月 私学共済法旧法附則第13項、第14項、第16項参照

長期組合員期間は 13年3ケ月

(組合員期間 40年)

(年金額対象年数 40年) となる。

(2) 亡善一が本件事故で死亡しなかつたとするとその標準給与月額(私学共済法§22)が次のとおりとなる。

自昭和47年4月 至 同48年2月 ¥150,000―

自昭和48年3月 至 同48年9月 ¥185,000―

自昭和48年10月 至 同48年12月 ¥180,000―

自昭和49年1月 至 同49年9月 ¥210,000―

自昭和49年10月 至 同50年3月 ¥245,000―

(3) かくして私学共済法§23(昭和49年6月法律第99号)、私学共済法施行令§36、私学共済法附則8項(新法)及び私学共済法施行令附則(昭和36年12月15日政令412号)によつて

平均標準給与月額は

〈省略〉 〈1〉

〈1〉×1.5/100×5年=17,063円 〈2〉

となる。

次いで平均標準給与年額は

長期 〈1〉×12=2,730,000円 〈3〉

旧長期 〔〈1〉+〈2〉〕×12=2,934,756円 〈4〉

〈4〉×1.2 3,521,707円となるが、私学共済法附則8項(新法)1号により最高の2,940,000円 〈5〉

となるところ、

私学共済法附則8項(新法)によつて

{第1号(〈5〉×1/60×20年)+((5)×1/90×6年)=1,175,999円 旧法期間分退職年金額 〈6〉

第3号(〈3〉×1.5/100×14年)=573,300円 新法期間分退職年金額 〈7〉

となる。

以上により〈6〉+〈7〉=1,749,300円が退職年金額(年額)となる。

以上

別表3

〈省略〉

別表4 退職年金計算書

1 亡善一は私学恩給財団(加入年月日 昭和10年4月1日 脱退年月日 昭和28年12月31日、この間18年9ケ月)の加入経歴があり、また厚生年金保険(資格取得年月日 昭和23年12月1日、脱退年月日 昭和28年12月31日、この間5年1ケ月)の加入経歴があつて、昭和29年1月1日より私立学校教職員共済組合員となつて本件事故による死亡日まで組合員であつた。

2 亡善一が右死亡時による退職年金額を計算するに次のとおりである。

(1) 私学共済法は昭和36年6月16日法律140号により改正されたが、この改正前のを旧法、改正後のを新法という。――新法は昭和37年1月1日から施行された。

亡善一の新法附則第4項に定める。

旧長期組合員期間は 26年9ケ月

長期組合員期間は 10年5ケ月

(組合員期間 37年2ケ月)

(年金額算定対象年数 37年) となる。

(2) 亡善一の死亡時まで前3年間の標準給与月額は次のとおりであつた。

自昭和43年10月 至同44年10月 ¥110,000―

自同44年11月 至同45年9月 ¥120,000―

自同45年10月 至同46年2月 ¥130,000―

自同46年3月 至同47年5月 ¥150,000―

(3) かくして私学共済法§23(昭和49年6月法律第99号による改正前の)、私学共済法施行令§36、私学共済法附則8項(新法)及び私学共済法施行令附則(昭和36年12月15日政令412号)によつて平均標準給与月額は

〈省略〉 〈1〉

〈1〉×1.5/100×5年=9,938円 〈2〉

となる。

次いで平均標準給与年額は

長期 〈1〉×12=1,590,000円 〈3〉

旧長期 〔〈1〉+〈2〉〕×12=1,709,256円 〈4〉

〈4〉×1.2=2,051,108円 〈5〉となるところ

私学共済法附則8項(新法)によつて

{第1号(〈5〉×1/60×20年)+(〈5〉×1/90×6年)=820,443円 旧法期間分退職年金額 〈6〉

第3号(1,590,000円×1.5/100×11年)=262,350円 新法期間分退職年金額 〈7〉

以上により〈6〉+〈7〉=1,082,794円が退職年金額(年額)となる。

以上

別表5 肝硬変患者の診断の正確度別診断時よりの生存期間別分布

〈省略〉

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